訪問看護ステーションよつば

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夕食後なんとなく携帯でヤフーニュースを見ていたら、見覚えのある方の写真が目にとまりました。藤井輝明さんといって顔面に「海面状血管腫」という紫色のコブを持っている方で、今年の5月に急死されていたことがわかりました。私は20年ほど前、この藤井先生の教え子でした。医療技術短期大学時代の時です。
初めて教室で藤井先生を見たときは衝撃をうけました。記事では右目のコブとなっていましたが、私には右顔面にあった記憶があります。身体も大きい方でしたがコブも大きかったです。「なんでそうなっちゃった?」「痛い?」「いつから?」「なおるの?」などいろいろな事を思いました。たぶん藤井先生にとっては、生徒達の衝撃は百も承知で、自らコブの話をされました。聞かなくても教えてくれたので「聞いてはいけないこと」という思いは無かったですし、初めに受けた衝撃とは裏腹にコブへの興味はすぐに無くなりました。コブより印象に残っているのは「絶対にいつも笑っている」ことでした。なんとなくお姉系の話し方でその体型からは想像しない声の高さでにこにこして話すのです。講義中に寝ている生徒をみて「あら~、よく眠っていらっしゃいますね。」と言ってにこにこしていました。老年看護学を教えてくれていた先生で、試験前にどこが試験に出るのか教えて欲しいと聞きに行ったことがありました。そしたら「長江さんなら大丈夫ですよ~。いつも頑張ってみえるからどこが出でも大丈夫~。」ってにこにこ笑って言われました。私は笑って流されたと思いました。本当にどんな場面でも笑っていたのです。
その記事の中で「藤井先生は幼少時に受けた差別体験から、自分を守るために笑顔を絶やさないようにしたのではないか。態度が大きいとやられてしまうから。」と書かれていました。藤井先生の選んだ「サバイバル戦略」であると。記事を読んでいて、その笑顔は生きていくための覚悟のようなものだったのだと思いました。「笑顔で生きると決めたんだ」という藤井先生の言葉が紹介されており、私が接していたあの笑顔はそういう意味のものだったのだと思いました。
急死されたとのことでしたが、ついこの前までずっと教壇に立たれていた事を知り嬉しかったです。多くの学生が藤井先生の授業を受け、学んでいたのだと。記事の中の写真は4年ほど前のものでしたが、仕草も顔も私が知っている頃の藤井先生でした。ご冥福をお祈りします。
今日は学生時代の頃が思い出されました。色々あったなあと。高校を卒業して親元を離れた時だったのでやりたい放題でした。寮に入っていたのですが寮の規則を破って母親が呼び出されていました。怒られるかと思ったら「面倒くさい寮だから出たら?」と言われ、寮を出てより自由な世界を手に入れました。バイクに乗って事故もして、それでも毎晩のように友人と夜景を見に山にバイクで上がってました。若かった。本当にパワーがありました。今はそういうパワーはありませんが、仕事へ向ける情熱はあります。不甲斐ないこともあるのですが、自分のすべきこと、できることを頑張っていくしかないです。寒くなるみたいなので、スタッフ一同体調を崩す事無く頑張っていきます!


あちらこちらで聞こえる「今年もあと少し」という言葉。もうお正月がすぐそこまで来てます。利用者様の中でも年末年始の予定をたててご希望を言われる方もちらほらみえます。「大晦日は点滴の針を抜いてお風呂に入りたい」、「元旦は何もせず家族とゆっくりしたい」、「お正月は奥さんを実家に帰らせてあげたいから訪問時間看護の時間を少し長くして欲しい」など。訪問看護ステーションよつばでは、365日支援に入っていますのでできる限り利用者さんやそのご家族のご希望に添いたいと思っています。ただ、スタッフの出勤も減るので、うまくやりくりしなければなりません。24時間で緊急対応の体制も取りつつです。昨年は年末に病院から退院される癌末期の方が何名かみえました。「家で過ごしたい」を支えられたことは、訪問看護でのやり甲斐を感じる事でもありました。12月のシフトは年明けまでスケジュールしないといけないので、ぼちぼち頑張っていきたいと思っています。
上の写真。新人看護師さんの教育につかう医療物品です。11月から新しいスタッフを迎えることになりました。よつばは医療依存度の高い方が多いです。気管切開や人工呼吸器、胃瘻、中心静脈点滴などなど・・・。利用者さん宅で不要になったものや、新品なのに「使って」と言ってくださった方々から集めました。訪問看護に同行して一緒に学んでもらいますが、限られた訪問時間で教育もとなると利用者さんにも迷惑をかけてしまうかもしれません。なので、事務所で触れる物には触り、練習できることは繰り返し練習できるように準備をしています。また、胃瘻や気管チューブなどは実際にどのようなものがどうやって入っているのか、透明人間でないので見えません。往診での交換時に見学させて頂ける様、先生や利用者様にもご協力頂けるようお願いしています。
私が病院勤務の時、「胃瘻」のある患者さんをみた経験はありましたが、あくまでも「誤嚥性肺炎」など疾患に起因する観察視点しかもっていませんでした。胃瘻にも様々な種類があり、それぞれどういう理由で選択されているのか、胃瘻が有りながら生活することで弊害として何が起こりうるのか、何をみていかなければならないのか、全く知りませんでした。病院は生活の場ではないので、「胃瘻の管理」という長期的な視点が無かったのです。なので、病院で「胃瘻の患者さんをみた」ことがあっても、在宅で「胃瘻の方をみる」ということは全くの別世界です。胃瘻に限らず、人工呼吸器や点滴の管理も目を向けているところが違ったりします。なので、どれだけ病院経験があろうとも、在宅でそういう方々をみていくことは学ぶべきことが多くあります。
新人さんは「よつば」で一番若い看護師さんになります。今までは私が一番若かったのですが・・・。訪問看護は、病院である程度経験を積んでから、という慣例みたいなものがあり40歳代以降の方が多いように感じます。しかし、これからの日本(今でも)は、地域で働ける看護師の需要は高まっていくと思います。地域の中で育てていけるようにしないと、持久力や柔軟性のある若い看護師は病院にしかいない状態になってしまいます。なのでよつばに入社してくれたこの若い看護師さんを何とか育てていきたいと考えています。また、ブログでも紹介していく予定です。


「やめておこうかな、頑張ろうかな」。毎晩自問自答しています。何をかというと、夜のトレーニングです。3月のフルマラソンにむけてジョギングしたり坂道ダッシュしたり、ハイペースで走ったり。体力・精神力を鍛えています。今日も走ってきました。週の半分はトレーングするようにしています。先日の日曜日は10キロレースに出て今のスタミナを確認しました。ヘトヘトでした。もう少し痩せて身軽になりたいですが、歳をとると痩せるのが難しいです。若い頃はもっと・・・だったのに。
少し前の中日新聞に39歳で亡くなられた作業療法師の方の記事が掲載されていました。その方は在職中に重症筋無力症を患い、人工呼吸器をつけて在宅療養されていた方です。印象的だったのが「利用者の障害が重い分、職員や家族は本人の思いを軽視しがちになる。」という言葉です。呼吸器をつけているので「話す」事は出来ませんが「伝える」事はいろいろな手段があるのでできます。ですが「どうしようか」となった時に、キーパーソンである家族とスタッフで相談して決められてしまうというのです。これは、私が現在の仕事をしている中でも感じることです。
何ヶ月も前ですが、毎日ヘルパーさんや訪問看護が支援に入っているお宅で、一つの事業所が撤退することになりました。そのことについてある日、事業所から本人のいないところでご家族に伝えられました。ご本人は意思疎通がとれるし理解力もあるのになぜ本人に相談したりお伝えしたりしないのか違和感がありました。また、些細なことかもしれませんが、つい数日前に訪問したお宅では、来週に予定されているインフルエンザの予防接種の日時を本人がご存じないという事がありました。スタッフ間で連絡事項を記載するノートがあるのですが、そこには記載されているのに本人は知らない。恐らく往診の時に先生が同席する家族にも話されたのだと思いますが、呼吸器や吸引器を常時作動させているので、ご本人の耳の周りには私たちが感じないレベルの音がしており聞こえにくさもあると思います。本人のいるところで話したから「伝えた」ということではなく、本人に向かって話して反応が返ってこないなら「伝えた」という事にはならないと思います。「本人に向かって伝えて、その反応を確認する」という事が普段のコミュニケーションで大切だと思います。
介護度の高い方をみているご家族やスタッフは大変な事も多く、介護に関わる事柄だとそれを担う人だけで考えて決めてしまう事があると思います。でもやはり、介護を受ける本人の意思を確認せずに決めてしまう事は、後々に問題が発生する事にもなりかねないし、誰のための介護なのか大切な事が抜け落ちてしまいます。
本人がどうしたいと思っているのか、それに対応するには何が出来るのか、またできない事は何なのか、多職種で知恵を絞って考えて行動していくことで、重度の方でも「自分の人生を自分できめる」ということが当たり前になるのではないでしょうか。



つい最近まで冷房をつけていたのに、一気に気温がさがり、換気するのに窓を開けると寒さを感じるくらいです。気温の変化が激しいせいなのか、体調を崩される利用者さんもみえます。私もスタッフも利用者さんも、体調管理に気を配りたいと思います。
8年前に電動のママチャリを購入しました。前後に子どもを乗せる椅子があり、3人乗りできる自転車です。また、前には荷物を乗せるカゴもありまあまあの「大型車」です。三男が小学生になった3年ほど前からは子どもを乗せることはなくなり、買い物ももっぱら車なのでマンションの駐輪場に置いたままでした。
当時は前に三男、後ろに長男を乗せて、私の座っているサドルに次男も座らせて4人乗りもありました。4人乗りは違反ですね・・・。車を持っていなかった時期もあったので、保育園のお送り迎えだけでなく、買い物や動物園にもママチャリで行きました。「電動」でなければ子ども全員連れて行く事なんてできませんでした。
マンションの駐輪場で場所も取るし、汚れていくし、もう一台普通の自転車を持っているのでそろそろ処分しようかなと思っていました。ですが、そんなママチャリを乗ってくださるという方がみえて、お譲りする事になりました。たぶん一度も磨いた事はなかったけれど、しっかりお掃除してメンテナンスして、自転車屋さんにも「これでまた乗れますよ~」と言ってもらい、今日お別れとなりました。我が家の子育ての「足」となってくれていた自転車。毎朝大急ぎで自転車を出して、「今日は歩いて行く!」という息子を説得もしくは怒鳴りつけて自転車に乗せ、電気の力を借りながらスイスイ自転車漕いで保育園まで行っていた日々が懐かしく感じます。あの時は、永遠に続く日々のような感じがしていましたが、気づけばいつの間にかそんな日々は終わっていました。また違う場所で頑張ってくれる電動ママチャリ。とりあえず我が家ではお疲れ様でした。
上の写真は、来月23日にオンラインで行われる「自分をプレゼン」の紹介です。神経難病であるALSの患者さんが自分の事、病気の事をお話してくださいます。よつばで支援している利用者さんも参加されるので、今頑張って資料作りをされています。写真撮影などはお手伝いさせて頂いていますが、ほとんどその方の両足で準備されます。
全国でALSの方は約一万人みえます。私は訪問看護に携わるようになったこの数年で約20人のALSの方の支援に入ってきました。一人一人病状の進行や症状が異なり、支援する事も人それぞれです。テレビドラマや映画で時々ALSのことが題材になっていることがありますが、現実とは違うなと思うことも多くあります。仕事でALSの方と関わっていても、その方の歴史や思い、本心に触れることはなかなか難しいことです。今回、ALSの方々が自分の事をお話ししてくださることで「ALSと共に生きていく」ことがどういう事なのか、私やスタッフも学びたいと思います。


緊急事態宣言が解除されコロナの新規感染者数が減っている中、小学六年生の次男が無事に修学旅行に行くことができました。9月に新学期が始まった頃は、このままでは修学旅行に行けないなと思っていました。昨年の中津川野外学習が中止となり今年の修学旅行も中止になったら「もう僕は学校辞めるから」と言っていた次男。よかったよかった、行けてよかった~と私も嬉しかったです。「お土産は何がいい?」と次男。無難に「八つ橋」と答え、リクエスト通りに買ってきてくれました。それだけでなく、清水寺の写真が入ったフォトスタンドも。どんな気持ちで買ってくれたのかなあ。清水寺が素敵だったから私にも見せたいと思ったのでしょうか・・・。私が家で仕事をする場所からよく見える位置に飾りました。
次男とは反対に、長男は今年の稲武野外活動が中止になりましたが全く動じていません。今月、稲武の代わりにリトルワールドに行く事になったみたいですがこれにも参加しないようです。中学生なら中学生なりの事を・・・と思うのですが中々難しいです。最近、競馬に興味があるようで、馬の話や競馬の話を教えてくれます。日曜日の競馬も毎週みています。小さい頃は電車に興味があって、長男から電車のことや新幹線の事を多く教えてもらいました。私も今では、まあまあ詳しく電車の事が語れるくらいになりました。しばらくしたら今度は競馬に詳しくなるかもしれません。
昨日は、新規の事業所(訪問看護ステーション)に対して実施される「現地確認」というものを受けました。本当は8月の予定でしたが、緊急事態宣言が続いたことにより今月まで延期されました。開業する前に提出した書類と現状に齟齬がないか確認に来られました。訪問看護ステーションには、常勤換算で2.5人の看護スタッフが義務づけられているので、それに関しては細かく確認されました。色々とご指導を受けましたが、「申請時と一年後で、変わらないスタッフで継続しているのはすごいですね。」と言われました。たいてい一年以内で現地確認をされるそうですが、スタッフが入れ替わっていることが多いそうです。管理者だけが変わらずスタッフは総入れ替えになっていることもあると。スタッフを増やしたいけれどなかなか増やせない(募集をかけてもこない)と思っていましたが、立ち上げの時からスタッフが一人も減ることなくやってこれていることは有り難いことなのだと改めて思いました。色々と指導を受けて今後の課題もありますが、こらからもみんなで頑張っていけるステーションにしていきたいなと思いました。