訪問看護ステーションよつば

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今日は午前中、レセプト業務(診療報酬明細書の作成、提出)をしました。この日だけ来て頂いてる事務さんと一緒に。事務さんのお子さん、1歳8ヶ月の男の子。プラレールを並べてパートさんの娘さんに保育をしてもいました。しばらくプラレールで遊んでいてくれたけれど、あとは流しの下やキャビネットを開けてみたり、違う部屋にいってみたりとずっと動いていました。そういえば、うちも何年かはゴミ箱が床ではなくテーブルの上にあったり、台所の入り口にはバリケードを置いていたりという生活でした。もうそんな生活も思い出さないくらいです。今は今で大変なこともあるけれど、子育てはだいぶ楽になったなあと思いました。
レセプトが終わると、今度はよつばで非常勤で働いてくれている理学療法士さんが生後半年くらいの男の子を連れて来てくれました。ちょっと早く、ちょっと小さく産まれた子ですがもう丸くて重たかったです。理学療法士さんには月に数回、リハビリをお願いしています。介助無しでは立てない方で、通常看護師とヘルパーさんでベッドから車椅子へ移乗させているALSの方です。当初は体幹を支えてあげるとすり足で何とか足を運ぶことが出来ましたが、最近はそれができなくなっています。今は立位をとってもらい移乗していますが、最近の状況をみると、立位を取らずに座位で移乗した方がいいのかなとも思っていました。そんな私の考えを相談すると、「足の運びは悪くなっているけど、立位によって足を運ぶだけでなく他の部位も使っている。立位をとらないことでその他のことも出来なくなる可能性があるから、お互い(利用者さんと介助者)が無理でないなら使える機能は使っていった方が良い。」とのことでした。全介助で行うレベルの身体機能なので、転倒などのリスクも背負いながら行っています。なんとなくリスクばかりが気になりどうしようかなと思っていました。ですが、当たり前のようだけど忘れていた理学療法士さんの言葉に「そうだな、まだ今はやめどきではないな。」と思いました。この方の足は、立つ、歩くだけではなくコミュニケーションの手段にも使われます。右足で特殊なマウスを動かし、左足でクリックをしてメールしたり、発声できないので言いたいことをパソコンに読み上げてもらったりしています。この利用者さんも、「パソコンが使えないことは命取り」と言われているほど、コミュニケーションの手段として大切なのです。それを動かす大切な両足。わかっているようで忘れていました。ほんの少しの時間でしたが、やっぱりいろいろな方面からの見解を聞くことはどんなにわかっているつもりでも必要だなと思いました。やっぱり常に勉強が大事。
そのあと大急ぎで美容院へ。5ヶ月ぶりでした。だから、自分へのご褒美に炭酸泉での洗髪、ちょっといいトリートメントをお願いしました。でも残念なことに、さっとお湯で流された後の記憶がなく、「気持ちいい~」とか「贅沢してる~」とかいう認識ができず美容師さんに声を掛けられた時はトリートメントも終わっていました。白髪も染めて、トリートメントもしてサラサラになったので良いのですが、寝たくなかった時間でした。
上の写真は、今日も賑やかだった事務所の風景です。2枚目はよつばの駐車場になっている柿の木です。秋だなと思いますが今日も暑かったです。


新しい総理大臣が決まったり、緊急事態宣言の全面解除となったり、真子様の結婚が決まったりとざわついた日々が続いています。緊急事態宣言の解除により旅行会社は10倍以上の予約になっているそうです。GoToキャンペーンとかやらなくても大丈夫そうな勢いです。
でも、コロナが終息したわけではないので引き続き感染予防対策を取らなければならないです。コロナに適切に対応しながら日常生活でも少し楽しみをみつけていけたらいいなと思っています。ひとまず映画に行きたいなと思っています。見たいのは「総理の夫」と「マスカレード・ナイト」。あまり難しくなく楽~にみられるものが好きです。いつも子ども達のアニメに付き合うので一人でゆっくりもしたいのです。
9月から学校は短縮授業でしたが10月から通常授業になります。個人的には、給食も食べてくる短縮授業で感染予防がなされたとは思っていません。いつもいつも帰宅後の手洗い・うがい・手指消毒を子ども達に言ってきました。また、マスクに触らないとか、触ったら手指消毒するとか、適切なタイミングでの手指消毒も教えてきました。「適切なタイミングでの手指消毒」は大人でもできない人が多いです。私も病院勤務の時にたたき込まれなかったら出来なかったかもしれません。また、学校でタブレットが配られて、練習のため持ち帰り家でタブレットを使って宿題もしています。今のところオンライン授業はしていませんが、子ども達ならそつなくこなすのでしょう。たぶん先生達の方が大変です。長男は、プリントの宿題がタブレットになったことで「プリントがどこかへいってしまう」ということがなくなりました。普段は「プリントを持って帰ってきたはずだけどない!」「「プリントやったのにどこかへ行った!」なんて事ばかりです。コロナ禍でのタブレット対応ですが、長男には最適な方法でした。「タブレットがどこかへ行った!」なんてことは無いはずなので。そんな長男、「漢字は書けなくてもいい、読めればいい」と言っています。確かにパソコン社会の今、字を書く必要がなくなっています。私は今日も字を書いていません。こうやってパソコンに向かっている隣で長男もパソコンに向かっています。私の中学時代とは明らかに勉強風景が違うので中々理解してあげられないことも多いです。
今日、訪問先で中学生子が色々とお話しをしてくれました。話というか悩みですね。一時間半ほど彼女が喋っているのを聞いていました。年頃なので交友関係の内容です。そこにはやはりSNSが絡んでいます。絡んでいるというよりもSNS上だけの関係です。学校や家庭という世界とは別にSNSでの世界を持っている。彼女にとって今大切なのは会ったことの無いSNSでの友人です。それが壊れると学校へ行く気力も無くします。なかなかその苦悩を理解する事は私には難しいですが、彼女が本気で悩んでいることはわかりました。「どういう言葉で伝えたらいいのか」と答えが出ないようでした。SNSでもそうでなくても、人に伝えたい事があるときは誠実に、誤魔化さずに、嘘を言わないことではないかと思います。嘘や不誠実さは相手に伝わります。人付き合いも失敗しながら学ぶことかもしれないですが、まだまだこれからの人生なので私の言葉より経験かなと思いました。とりあえず私に話すことで気持ちの整理がついたかな?ただ話を聞いて終わった訪問看護でした。



先日は敬老の日でした。私の身内の高齢者は、父と祖父(父の父)だけです。父は72歳ですが、童顔なのか高齢者にみえません。私と父で外出すると、私が父の奥さんって言われます。いつも「娘です!」って言わなければなりません。もう1人の高齢者である祖父は今年100歳になりました。以前このブログでも紹介しました(2020年12月)。昨年12月に会って以来会いに行っていませんでしたが、長男が一度も会ったことのない曾じいちゃんに会いたいというので、長男・次男と一緒に会いに行ってきました。三男は「なんか怖そう」と言って行きませんでした。
12月の時は背筋を伸ばして1人で歩いていた祖父ですが、今は酸素が必要な状態で足腰も弱り1人では歩けなくなりました。耳もめちゃくちゃ遠いけれど、話す内容はしっかりしていました。今日は会ったとき、「雅子だよ!」と言うと頷いて「まあブスだな」と言われました。お世辞とか絶対言わない人なのでいつもの調子だなと思いました。100歳になったお祝いの言葉をかけると「ありがとう」と。でも「長生きしすぎた。こんなに長く生きると邪魔者になるだけだ」と。その言葉に息子達が「そんなことないよ。おめでとう。」と言っていましたが、残念ながら耳が遠くて聞こえていませんでした。
ベッドで横になっていたけれど起き上がってきてくれて、長男・次男にも声をかけてくれました。「勉強しとるか」「○○に毛は生えたか」などなど。戦争の話もし始めて「太平洋戦争の時に私はパイロットで・・・」「ドイツ軍が・・・」など。息子達も意外と真剣に聞いていましたが祖父の息が苦しくなってしまい途中で話は終わってしまいました。
帰り際、息子達に「しっかり勉強しろ!」と活を入れてくれました。
帰りの車の中で息子たちは、生で聞いた戦争の話に「とても良い時間になった」と言っていました。名古屋から車で1時間なのでいつでも行けます。「また来るね」と声をかけてきましたが、高齢なので体調は不安定です。もしかしたら今日が最後になるかなと思いながら帰ってきました。
今日はお休みだったので数日前までは「一日中寝る!」と決めていましたが、長男の「曾じいちゃんに会いたい」の一言で私にとっても良い時間になりました。大きな一軒家のホームで過ごすおじいちゃん。残された時間が穏やかであるように願っています。



今日は小さいお客さんがお弁当を持って事務所に遊びに来てくれました。電車が好きなので、私の子ども達が遊んでいたプラレールを久しぶりに走らせました。長男と三男がよく遊んでいましたが、ここ数年はケースから出すこともなく眠ったまま。久しぶりに聞くプラレールの音が懐かしくて、私も楽しませてもらいました。何時間も一緒に線路を組み、電車を連結させたり走らせたりしました。
うちの長男は特に電車やプラレールが好きでした。南知多ビーチランドのおもちゃ王国にはプラレールのエリアがあって、そこへ連れていくと開園から閉園までずっと遊んでいました。家の近くの線路沿いに散歩に行って行き交う電車を見ることも好きで、何時間も付き合うこともありました。途中で説得して「帰ろう」と試みることもありましたが、その労力もかなりのものだったので、本人が納得するまで付き合う事が多かったです。
そんなことを思い出しながら、小さいお客さんと遊びました。お昼は、訪問から帰ってきたスタッフと共にお弁当を食べて、その後もスタッフと一緒に遊んでいました。
たまには童心に返って「遊ぶ」って楽しいですね。三男に今日の写真をみせたら、「今度遊ぶときは線路を組んであげる!」と言ってました。久しぶりに三男の作るプラレールの線路がみてみたいです。


昼間はまだ暑さを感じることもありますが、朝晩はだいぶ過ごしやすくなりました。車内の灼熱地獄はもう感じません。きっとすぐに寒い季節になってしまうので一日一日を大切にしたいと思います。私の毎年の目標ですが、3月のフルマラソンに向けて9月から走り出す!今週は雨の日以外は少しですが走っています。身体が重たくて5kmも走れません。この一年で6キロほど体重が増えてしまいました。2週間後には健康診断があるし、このままでは悲しい結果になるので怠けずに運動を継続したいと思います。
昨年8月まで勤務していた事業所で支援させて頂いた方が昨日亡くなられました。ALSの方でした。気管切開して呼吸器をつけ、胃瘻も造設しており、栄養自体は胃瘻からの栄養注入がメインでした。ですが「食べる」ことが好きでしゃぶしゃぶやお寿司などを介護タクシーに乗って食べに行っていました。ほんの数口しか食べられないし、肉は噛みきれないのでかなり小さく切って口に入れてもらっていました。飲み込めずに味わって出すということもありました。おうちでは毎日コーヒーも飲んでいました。飲むといっても口から溢れてくるし、気管切開している喉からもコーヒーが出てきてました。ALSと診断されてからの進行は速かったようで、急変して気管切開して胃瘻を作って・・・。それから8年をベッドの上で過ごされました。それでも、ベッドで寝たきりだったわけではなく、毎日ヘルパーさんに身体を起こしてもらって床に足を出して座ったり、何ヶ月に一回、食事や美容院に行ったりしていました。同居のキーパーソンの方ともよく喧嘩をしていて、声は出ないけど口パクで文句を言い、でも相手が文句を言い返しても知らん顔して無視していました。「私が先に死ぬことだってあるよ!どうするの!」と同居の方に言われても「私には看護師さんやヘルパーさんがいるから大丈夫。お先にどうぞ。」と言い返していました。コロナが流行してからは、一般的には中々受け入れてもらえない看護学生の実習を受け入れてくださり、未来の看護師に「病気や障害を抱えながら生活する」ということの一場面をみせて頂きました。
8年の間、ご本人がどのような思いで過ごされてきたのか本心は分かりません。しかし、「かわいそう」とか「不幸」には見えませんでした。いつも「ありがとう」の言葉を頂いていました。昨日は、「お疲れ様でした。ありがとうございました。」と声をかけてお別れをしてきました。
ASLといっても、症状の出方や進行具合など人それぞれです。その方々を支援する看護師やヘルパーの経験や技量、知識も様々です。支援する私たちも大変だと感じることは多いですが、どんなに大変だと思えることでも、まだこれから出来ることがあるはずだと信じて考えて行動しています。自分一人では無理でも、スタッフや他職種の方々と知恵を出し合い頑張っていけることは多くあると思うのです。中々進まない船に乗っているような状況もありますが、何もしなければ進まないと思うのでオールを一生懸命漕ぐしかありません。
体重を減らすために走ること、船を動かすためにオールを漕ぐこと、頑張りたいと思います!