訪問看護ステーションよつば

お問い合わせ

Instagram

よつばブログ



先ほど夕飯を済ませてから明日のお弁当のおかずを少し作りました。一品でも作っておくと、朝の負担が半減です。出来上がったおかずをテーブルに置いて冷ましておく間、お風呂に入っていましたが、お風呂から上がると小学生の三男がパクパクとお弁当のおかずを食べていました。
さっき夕飯済ませたじゃん(泣)。「どうした?お腹減った?」と聞くと「お腹減ってないけどまだ食べられるから食べてるよ!」と・・・。お弁当のおかずがきれいに無くなりました。もう作る気はしないので、明日の朝リベンジです!
上の写真は、今週土曜日にモリコロパークで行われる「世界ALS デーinNAGOYA」のチラシです。コロナ禍で2年連続中止になっていましたが、今年は開催されるようです。私もコロナ禍前は子どもを連れて参加したことがあります。その中でも「みんなでゴロンしよう」は、みんなで数分間寝そべって「動けない」「話せない」、ASLという病気を体感する時間です。動けない、話せないは数分間ですがその時間、「これが一生続くなら・・・」と考えた時、やっぱりそんな自分は想像ができなかったです。ここ数年、在宅でALSの方々と関わりを持っていますが、自分ならどんな選択をしていくかなという答えは持てずにいます。
先日、私自身が頭部のMRI検査と胃カメラの検査を受けました。頭部MRIは狭いところに閉じ込められた恐怖心が湧いてとても恐かったです。胃カメラは苦しい、痛いの繰り返しで泣いていました。病院勤務の時、多くの患者さんをMRI検査室まで運んだり、緊急の胃カメラの補助に対応したりしていましたが、患者さん達が受けていた検査が自分にとっては大変つらいものだったとわかりました。
自分がその立場にならないと分からないこと、気づいていないことがほとんどで、今ALSの患者さんをそばでみて、関わりをもっていますがたぶんほんの少しもわかっていないと思います。それでもやはり、ALSの方がどんな気持ちなのか、どんな思いを持っているのか知りたいなと思います。
「これからも生きていく」という本はALSの方の写真とメッセージが載せられています。利用者さんのご家族が購入されたものを貸してもらいました。笑顔の写真もあれば泣いている写真もあります。みんなそれぞれ思いを表出する言葉は違います。それでもみなさんの「生きている」を感じることができます。
今週土曜日の「世界ALSデーinNGOYA]には、よつばのスタッフも参加してきます。私は仕事のため不参加です。以前お世話になっていたステーションで関わっていたALSの方々も参加されると思うので行きたかったですが、その辺はスタッフの報告を楽しみにしようと思います。多くの方にとってALSだけではなく、病気や障害を持ちながら生きる人達への理解を深める場になるといいなと思っています。


月曜日に急遽入院となったかたがみえました。急変ではなく、在宅でのマンパワー不足によるものです。約一年半の間、訪問看護に入らせて頂いていました。ほとんどの方は初め、家族以外の支援者を入れたがりません。「人の世話になるなんて」とか「家に頻繁に人を入れるのが嫌」という思いになるのは当然だと思います。この方もそうで、家族以外は訪問看護だけでした。点滴が必要なので、看護師はどうしても必要だったので入れましたが、日常生活を支援すると言う意味でのヘルパーさんや訪問入浴は頑なに拒まれました。家族がなんとかやっていくという感じで頑張ってみえましたが、病状の進行もあり夜間不眠となり、その方を支援する家族も不眠が続き、在宅での生活が続けられなくなりました。
主治医も訪問診療医ではなかったので、診察に出向く必要がありコンタクトも取りづらい体勢でした。いつかこうなってしまう(在宅療養が継続できなくなる)かもと思っていたのに、この一年半、結果として在宅療養の体勢を作れていなかったことを後悔しました。「最期のとき」がくれば病院へ行くという約束でしたが、今はまだ「最期の時」ではありませんでした。結局は本人の思いとは違う形になりました。
別の方ですが、ちょうど今在宅療養の体勢を作っているかたがみえます。本人は受け入れ難いのですが、ヘルパーさんも看護師も毎日支援に入っています。おうちで過ごしたいという方ですが、家族だけでは生活できない状態です。それでも支援者に入ってもらって手助けしてもらう事に悲観的になっています。「人の手を借りなければ生活できない自分が嫌」だと言います。なので支援を減らしてしまうこともあります。なので、まだ在宅療養が継続できる体制にはなっていません。
また別の方ですが、24時間体制でヘルパーさんと看護師が支援をつなげています。家族も同居されています。普段は昼間、ご家族もその方の生活を支えていますが夜間はしっかり休まれています。今日からそのご家族は、数日間の旅行に出かけられました。
皆さん同じ神経難病です。病状も様々、療養生活も様々です。本人や家族の思いを尊重しながら療養生活の体制を整えていくことは難しいのですが、在宅療養を望むなら必要な事です。月曜に入院された方のことを考えると、私の力不足だったと思います。
写真は訪問先で綺麗に咲いていた紫陽花です。花はすっきりしない気持ちを癒やしてくれます。



先週は忙しい毎日を過ごしていました。月曜日から長男と喧嘩して長男は家出し、帰って来たかと思うと翌日から長男は修学旅行へ。修学旅行は途中参加のためディズニーランド近くのホテルまで送って行きました。本当は車で出て旅行気分でゆっくり東京に向かいたかったのですが、ギリギリまで仕事が終わらず夕方に新幹線に飛び乗りました。写真はその時のものです。ディズニーランドをチラ見してきました。
ギリギリまで終わらなかった仕事は担当者会議です。利用者さんに関わる先生や看護師、ヘルパーさんや福祉用具さん、ケアマネさんが集まりました。その日は、利用者さんに支援が増え、新しい事業所も増えてきたのでケアの分担を決めました。利用者さんのためのケアなので、一番大事なのはご本人の思いです。どうしてほしいか、どれくらいの頻度で必要かなど。
よく、病気を「受け入れる」と言いますが、どんな状態になったら受け入れていることになるのでしょうか。もし自分が癌や治療できない難病になったら、って想像しても「受け入れる」感覚がわかりません。ただ、病気と「付き合う」「共存する」みたいな感じかなと思います。「病気を認め、今を生きて行く覚悟」が受け入れるということかなと思っています。
その時の担当者会議の利用者さんは、病気を認める、付き合うことができません。なので「受け入れが悪い」と言われます。気持ちとは反対に、病状はどんどん進み手助けもたくさん必要となっています。ケアマネージャーさんが中心となって、病気を抱えながらも生活できるように看護師やヘルパーさんをたくさん集めてくれたのですが、たくさん集まった支援者をみて、その方はとても暗い表情でした。多くの人に助けて貰わないと生活できない自分にショックを受けているような感じでした。なので、本人からの発言はほとんどなく、周りの支援者と家族でケアの内容を決めました。本人は「病気を受け入れていない」けれど「支援は受け入れなければならない」状態です。その方が、病気と向き合い、生きて行く気持ちになれたらいいなと思い接しています。気持ちを表現してくれることもあるので、その時はその気持ちを静かに聞いています。なんとなく暗い雰囲気のまま訪問看護の時間を過ごす事もあります。そんな時でも、笑顔を向けるように意識してます。意識しないとたぶん私の表情も暗くなるので。
病気をかかえていても、そのために多くの人の力を借りなければならない状態でも、きっと「生きていてよかった」と思える時がくると信じてその方の支援に入っています。

先日、産休に入っているスタッフの赤ちゃんが生まれました。元気な男の子です。無事に産休に入り、親御さんが迎えにこられ一緒に実家に戻られたときは安堵の気持ちでした。「壮絶な出産だった」と報告がきましたが、また一つ大きな経験が増えたくましくなって帰ってきてくれることを楽しみにしています。



昨日もまた、ちびっ子が事務所に遊びに来てくれました。事務所でプラレールを広げて遊ぶことを楽しみにして来てくれます。その子のイメージした線路の構図があり、「神宮前駅みたいにして」など注文が入ります。神経の繊細な子で、失敗を恐れるのか自分で作ろうとはしません。だからって、私も注文を受けたまま作ったりもしません。「そこはカーブだよ」と言われれば、「カーブの線路集めてきて」と言い線路を探して持ってこさせます。繋げるのは私。奥の部屋までつながる線路ができてきて、「もっと長く繋げたい!」と言われましたが、手元にもう直線レールがありませんでした。「もう線路がないからできないよ」と言うと、箱の中にまだ線路が残っているはず!と思ったのか、必死に直線レールを探していました。そしてちゃんと見つけてきて自分でまっすぐな線路を組み立てていました。我が子達もそうですが、子どもは「依存」から「自立」へ、また「依存」と「自立」を行き来しているように思います。「安心」を求めて「依存」し、「自分の意思を通したい」「自由にやりたい」気持ちから「自立」へ。「自立」で感じる「孤独」や「不安」からまた「依存」へ戻り・・・。
この4歳の子はまだまだ「依存」状態ですが、この時期の子は「依存」してたくさんの「安心」を得ることが大事な時期だと思います。我が子らは、長男は「依存」は少なくなりましたがまだ「自立」との狭間で行き来しています。次男は、「自立」したい気持ちが大きく葛藤を抱いているように感じます。何だが、反抗的、返事しない、正論で打ち負かしてくる・・・等々、母としては寂しい思いがあります。三男は、まだまだ「依存」。時々「自立」っぽく装いますが、全然です。可愛い。子どもには、構い過ぎず、ほったらかしにせず、という思いで関わってきましたが、長男は構い過ぎたかも・・・、次男・三男はほったらかしにしてしまったかもと思う時があります。かれこれ14年子育てをしていますが、ずっとうまくいかないものです。そんな自分の子育てのやり直しをするかの如く、4歳の男の子と遊びました。
中学生の次男は明日から中間テストです。「目標は、全教科で250点以上!」と。「ん?何教科?」→「5教科。」→「100点満点?」→「そう」→「一教科50点の目標?」→「そう。友達なんて、目標450点以上だって!」→「俺は250点だからたぶん目標達成だよ。」ハードル低い!まあ、そんな会話が出来ただけでヨシとして、それ以上お小言を言うのはやめました。
今週は夏日があるし、週末は三男の運動会があるし、体力勝負ですが体調を崩す事無く頑張って仕事します。



先週はゴールデンウイークでした。子ども達とどこかに・・・と思い計画したのは「釣り」です。英虞湾まで行ってきました。小さい頃からよく釣りは連れて行っていましたが、3人連れていると目が離せないし危ないので海釣り公園みたいなところに連れて行っていましたが、最近は沖まで出ています。朝2時過ぎに名古屋を出発。4時半には英虞湾について船を出してもらいます。沖に浮くいかだまで連れて行ってもらい5時から釣り開始です。いかだは1組での使用になっているので周囲に気兼ねすることもなく、海の真ん中で釣りをする事ができます。サバ、コハダ、アジ等を釣りました。コハダはお刺身が美味しいとのことで、地元のおじちゃんがさばいて食べさせてくれました。さばき方を教えてもらったのですが、いざ家に帰って同じようにやってもやっぱりできない。お刺身は諦めて煮付けになりました。アジはフライです。「自分達が釣った魚は最後まで面倒をみる」ということで、釣った時にあまりに小さければ海へ返し、家に持ち帰った魚はきちんと料理して食べます。料理するのは私なので、これが結構大変です。基本的に包丁握るのは苦手ですので。
朝5時から釣りをして、10時頃には切り上げて、お昼過ぎには名古屋に戻ってきました。伊勢から名古屋方面に戻る時、反対車線は伊勢に向かう車で大渋滞していました。コロナ禍で自粛生活だった時は終わって、以前のような生活に戻りつつあるのだなと思いました。個人的には嬉しいなと思います。活気がある方が良いに決まってます。でも、連休後のコロナ感染は広がると思うので、基本的な感染対策を継続していきます。
ここ数ヶ月は入院されるような利用者さんもいなくて、訪問はフル稼働しています。状態の不安定な方もみえて緊張感が続きますが、「生活の場でいききることを支援する」という理念のもと頑張っていきたいと思います。