訪問看護ステーションよつば

お問い合わせ

Instagram

よつばブログ

夕食後なんとなく携帯でヤフーニュースを見ていたら、見覚えのある方の写真が目にとまりました。藤井輝明さんといって顔面に「海面状血管腫」という紫色のコブを持っている方で、今年の5月に急死されていたことがわかりました。私は20年ほど前、この藤井先生の教え子でした。医療技術短期大学時代の時です。
初めて教室で藤井先生を見たときは衝撃をうけました。記事では右目のコブとなっていましたが、私には右顔面にあった記憶があります。身体も大きい方でしたがコブも大きかったです。「なんでそうなっちゃった?」「痛い?」「いつから?」「なおるの?」などいろいろな事を思いました。たぶん藤井先生にとっては、生徒達の衝撃は百も承知で、自らコブの話をされました。聞かなくても教えてくれたので「聞いてはいけないこと」という思いは無かったですし、初めに受けた衝撃とは裏腹にコブへの興味はすぐに無くなりました。コブより印象に残っているのは「絶対にいつも笑っている」ことでした。なんとなくお姉系の話し方でその体型からは想像しない声の高さでにこにこして話すのです。講義中に寝ている生徒をみて「あら~、よく眠っていらっしゃいますね。」と言ってにこにこしていました。老年看護学を教えてくれていた先生で、試験前にどこが試験に出るのか教えて欲しいと聞きに行ったことがありました。そしたら「長江さんなら大丈夫ですよ~。いつも頑張ってみえるからどこが出でも大丈夫~。」ってにこにこ笑って言われました。私は笑って流されたと思いました。本当にどんな場面でも笑っていたのです。
その記事の中で「藤井先生は幼少時に受けた差別体験から、自分を守るために笑顔を絶やさないようにしたのではないか。態度が大きいとやられてしまうから。」と書かれていました。藤井先生の選んだ「サバイバル戦略」であると。記事を読んでいて、その笑顔は生きていくための覚悟のようなものだったのだと思いました。「笑顔で生きると決めたんだ」という藤井先生の言葉が紹介されており、私が接していたあの笑顔はそういう意味のものだったのだと思いました。
急死されたとのことでしたが、ついこの前までずっと教壇に立たれていた事を知り嬉しかったです。多くの学生が藤井先生の授業を受け、学んでいたのだと。記事の中の写真は4年ほど前のものでしたが、仕草も顔も私が知っている頃の藤井先生でした。ご冥福をお祈りします。
今日は学生時代の頃が思い出されました。色々あったなあと。高校を卒業して親元を離れた時だったのでやりたい放題でした。寮に入っていたのですが寮の規則を破って母親が呼び出されていました。怒られるかと思ったら「面倒くさい寮だから出たら?」と言われ、寮を出てより自由な世界を手に入れました。バイクに乗って事故もして、それでも毎晩のように友人と夜景を見に山にバイクで上がってました。若かった。本当にパワーがありました。今はそういうパワーはありませんが、仕事へ向ける情熱はあります。不甲斐ないこともあるのですが、自分のすべきこと、できることを頑張っていくしかないです。寒くなるみたいなので、スタッフ一同体調を崩す事無く頑張っていきます!