訪問看護ステーションよつば

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夏といえばかき氷。かき氷といえば「赤福氷」というくらいよく赤福氷を食べていました。それはうちの母が赤福氷が大好きで、よく一緒に松坂屋の赤福に食べに行ったから。氷の中に、あの赤福のあんことお餅が2個入っているんです。シーズンに3~4回食べていたと思います。
母が9年前に他界してからはたぶん、1回か2回しか食べていないと思います。母のように、「赤福氷を食べるために松坂屋に行く」という行動力が無いので・・・。しかし、先日高島屋に行った時に赤福のそばを通りました。「あ、赤福氷」と思いましたが、並んでいたし他の用事があったので立ち寄りませんでした。「母といった時は、並んでまで食べたなぁ」と思いながら。
母は癌で亡くなりました。病院で最期の時間を過ごすのは嫌だといって、高カロリーの点滴が投与できるCVポートというものを埋め込んで自宅で過ごしました。私が点滴を交換し、週に何度か針の交換もして、痛みのコントロールのための麻薬も使いながら父親と二人暮らしの実家に私が毎日通っていました。いよいよ動けなくなってきて、昼間は父も仕事に出ているし、私も病院勤務をしていたので訪問看護をお願いすることになりました。その時の私は病院勤務の経験しか無く、「訪問看護ってどんなことするの?」と思っていました。結局母は、数回の訪問看護を利用しただけで亡くなってしまいましたが、母が一人っきりになる時間を埋められることで私の気持ちは少し楽になりました。
母が亡くなってから思ったことは、母の介護に必死になってしまい、自分の疲労とか余裕の無さとかに気づいていなかったこと。職場に事情を話して介護休暇や有給をとればよかったなとか、もう少し早く訪問看護を頼んで、いろんな人に助けてもらいながら母と過ごせば良かったなとか。仕事、子育て、介護に必死になって母との時間がどんなものだったかあまり覚えていません。ただ、毎日点滴替えたなあとか、麻薬の残量の計算してたなとか、そんなことは覚えています。
「家族」だから、支えなきゃとか頑張らなきゃということに縛られてしまうと、介護することが義務になってしまい、大切な人との時間がつらいものになってしまうこともあると思います。そういう自分の経験や思いが、訪問看護に目を向ける一つのきっかけになりました。今でも「家族なんだから」という言葉が苦手です。
家族でも、家族でなくてもみんな一人の人間です。障害や病気があっても、家族でも家族でなくても人々が支え合える関係が素敵だなと思っています。