訪問看護ステーションよつば

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訪問看護の月刊誌に「意思決定支援(ACP)」について書かれていました。ACPはAdvance Care Planninngの略です。日本語にすると「意思決定支援」と言われています。名古屋市では医師会がACPの理解を深めようと何年か前から勉強会や事例検討をする場を設けています。私も参加させてもらっています。月刊誌からの抜粋もしながら少しACPについてここで書かせて頂きます。
☆80代女性、認知症。急性心不全で入院。糖尿病も指摘され、インスリン注射3回/日は必要となった。状態も落ち着き退院可能となったが、家族は「注射できない」と在宅を拒否する。本人は「家に帰りたい」という。
☆本人は自宅に帰りたいが一人暮らしのため家族は施設入所をするように本人を説得。医療者には自宅に帰りたいと伝えていた。
このような事例はたくさんあります。独居の高齢者も多いです。今後の事を決めるのに家族の意向も重要視されます。それは、家族は患者のことを最もよく知っていて、患者がどのような判断をするかを推測するに適している、家族は患者のことを最もよく思い患者のことを考えて判断するだろう、家族がケアの費用を払っている、家族以外には現実的に決める決める人がいないから、などです。
病院からの退院時だけでなく、在宅療養中でもよく意思決定を必要とする場面があります。その時に、本人と家族の思いが違うことがあります。また、充分に話し合いが行われないままに、本人が望まないこと(家族が望んだこと)が行われている、もしくはその逆で本人は望んだけれど家族が望まなかったことが行われていることもあります。その結果、ことある毎に問題が吹き出します。私たちはその問題に対応しますが、やはり根本の思いが家族と本人とで違うと結局は堂々巡りです。治療や療養について本人・家族と考えをすり合わせておけばスムーズに治療をすすめたり、療養生活の場や支援の受け方を決めたりすることができます。それらは患者さん自身の生き方に大きく影響します。
いきなり意思決定をするといっても簡単ではありません。家族でも自分の思いを伝えて、理解してもらおうとすることは時間や労力を要します。わかってもらえなかったらどうしようという精神的な負担もあります。普段から構えずに、家族間で生き方や病気に対する考え方を話す、どんな話でもよく言葉を交わしていくことが大切かなと思います。家族でも、相手の心の中をすべて分かっているわけではありません。普段からよく会話している家族は「患者のことを最もよく思い患者のことを考えて判断できる」のだと思います。
私たち専門職は何ができるのか。本人・家族としての悩みや対立の理由・原因を確認した上で、提供可能な社会資源等について調べて検討し、そのような社会資源を提供しても、本人の意思を尊重する事ができないか検討する。それを意思決定支援者である家族と何度も繰り返します。
普段の訪問の中で、意思決定支援がはじまることもあります。家族や本人がぽつぽつと話し出した時は丁寧に聞いていきます。自発的に意思を形成・表出できるように接し、その意思を尊重する姿勢を持つことが大切だと思っています。ぽつぽつの積み重ねが、どう生きたいのか決めていくことになるからです。先日、スタッフが本人・家族の話をよく聞いてくれて今後の方向性を本人・家族で決めることができました。一度決めたらもう変えられないわけではなく、気持ちは変わることもあるので意思決定支援はずっと続きます。
普段から家族間でよく話すことが大切。それは家族だけでなく、仕事なら私はスタッフとよく話すことが大切であり、普段の訪問で利用者さんやその家族とよく話すことが大切だと思っています。また、他職種で支援に入っている場合はその方達とも積極的に会話をするようにしています。普段言葉を交わしていると、困った時や相談したいときに声を掛けやすいし声を掛けてもらいやすいと思うからです。「話す」ということ。意思決定の初めの一歩であり、人と人との関わりで大切な事。私は「話す」ということがあまり好きではありませんでしたが、この仕事で人とよく話すようになりました。ですが家では寡黙です。


もう3月も下旬となり外の様子もすっかり春になりました。桜もちらほら、私の家の近所の公園にはチューリップも咲き出しています。先週までは袴姿の学生さんの姿もよくみました。我が家は今年、卒業や入学の子どもはいません。ちょっとほっとします。体型が変わるのでスーツが着れるだろうかとか、準備するものに追われたりすることが今年はありません。利用者さんのご家族では小学校に上がられたり、入園を控えていたりと忙しい空気が流れているお宅もあります。また春から遠方に引っ越される方もみえます。今日伺った利用者さんは「この時期になると調子が悪くなる。昨年の今頃体調を崩して入院した。」と。そして先週からなんだか調子が悪いのです。「もう入院は無理だ。入院したら帰ってこられない。」とも言われています。身体は自由に動かせないのでほとんどの時間をベッドで過ごされますが、それでも病院のベッドと自宅のベッドでは全く過ごし方が違うのでしょう。少しでも体調が良くなるように水分量を調節したり、異変を見過ごさないように様々な事を観察したり、話を聞いて不安の軽減に努めたり、元気な空気を持ち込んだり、真面目な顔ばかりしないで笑顔をみせられるように前向きな気持ちで訪問に伺っています。
家に帰れば子ども達が甘えてきてくれて、いい顔を見せてくれることで母親として頑張る力をもらうことができます。仕事では利用者さんやその家族が安心してくれたり笑顔を見せてくれたりすることで、また頑張ろうという思いにさせてもらえます。そんな毎日が私の「普通の生活」です。普通の生活ができることは有り難いことです。春になって私は誕生日を迎えます。来月43歳です。「よつばのスタッフの中で私が一番若い!」ってよく言ってますが若いっていいなって思うけれど、歳をとって今もいいなって思います。歳を重ねただけ色々と経験も積んでるし、考え方の幅も広がりました。大切な事は何か、幸せってなんなのか自分なりの答えも持っています。だから歳を取るけどまあいいかって思えます。スタッフで私が一番若いですが、みんな40代です。ある利用者さんには「そんなに変わらんじゃん」と言われています。そうなんです。みんな同じような年齢です。でも、お子さんが大きいからすごく年上に思えるんです。「老眼で見えない」とか言われると、私もその道を通るのか・・・と怖くもなりますが。
明日は名古屋市の小学校・中学校で修了式です。子ども達が春休みを迎えます。街には子ども達が多く出歩くと思うので運転に気をつけて元気に訪問に行きたいと思います。




先日、名古屋ウイメンズマラソンが開催されました。私も名古屋の街を走る予定でしたがオンラインの部に移行しました。建前はコロナ対策としてですが、本音は練習不足で走りきる自信がなかったためです。オンラインだと10キロちょっとを4回に分けて走るので自分の好きなときに好きなコースを走ることができます。期限は4月30日まで。なので仕事が無いときに早速走ってきました。10キロでもまあまあ疲れるのでゴールは自分の好きな場所に決めます。好きな場所に向かってなら頑張れるので。第一回目のゴールは熱田神宮です。好きだけどなんとなくモヤモヤがあるときに来る場所。本殿と上知我麻神社はいつも参拝しますが、この日は摂社もいくつか参拝してゆっくり過ごしてきました。毎年、このウイメンズマラソンでの完走を目指して走り続けるので、来年は沿道の応援も賑やかな中走れると良いなと思っています。利用者さん(子どもさん)のご家族の中にも空いた時間で走ってみえるお母さんがいます。いつもにこにこしているお母さん。いろいろな心配事がありながらもいつも前向きです。お母さんが元気だとその子ども達も元気です。よく私の子育ての事を聞かれるんですが、「私は子どものことそこまでみてないなあ」とか「そこまで考えてないなあ」とか気づかされます。たぶん私の子育ての荒さを知ったら引いてしまうと思うので言えませんが。そのお母さんは情報収集も上手で、多方面からいろいろな制度上の情報などを集められるので私がおしえてもらうことが多いです。
こうやって毎日人との関わりの中で仕事をさせて頂いています。悩むことも多いですが、訪問看護にうかがっている利用者さんやそのご家族からの言葉や、たくましさに励まされます。このお母さんも始めて出会った頃は不安な表情や心配事の投げかけが多かったように思いますが、いつの間にかにこにこしたお母さんになっています。こういう変化を身近で感じられることは病院勤務では経験できないやり甲斐だなと思います。
ゴールの熱田神宮で、仕事への感謝と地域で貢献していくことのお約束をしてきたので(毎度ですが)まだまだ頑張りたいと思います。


愛知県のコロナの感染者が昨日は1桁でした。9月以降の1桁だったみたいです。確実に感染者は減っているようです。このまま増えませんようにと願うばかりです。この一年、病院や高齢者施設の面会制限が続いています。仕事で病院に行くことがありますが、どこの病院もサーモグラフィーで体温チェックをしています。しかし、中川区の掖済会病院では来院時の体温チェックを行っていません。これは、院長のお考えだそうです。「体調が悪くて来院している人を門前払いするような姿勢をとりたくない」と。病院入り口にサーモグラフィーが無いことで、苦情の電話も入るそうです。それでもこの姿勢をとり続けています。掖済会病院ではコロナ陽性患者の受け入れも早い段階から行われていました。感染管理の認定看護師さんが中心になってマニュアルを作成したり、職員への教育、私たちなど地域医療に携わるスタッフへの講習を行ったりと継続的にコロナ感染に対応しています。この一年の間に私の父も掖済会病院に入院したことがありますが、面会制限のため父とのやりとりはスタッフを通してでした。必要なものを言われて持参してもスタッフステーションでの受け渡し、術後の先生の説明を聞くのも電話です。不謹慎かもしれませんが、私としては助かりました。仕事の合間に病院に行って父の顔を見ればあれこれ言いたくなるし、父も必要無いものまで私に買い物を頼むこともないですし。先生からの話も電話で済ませてくれる。
ただ、面会といってもうちの父のような元気なパターンは良いのですが、高齢の方や生まれたばかりの赤ちゃんの面会では大変厳しい状況が続いていると思います。今朝の中日新聞にNICUでの面会制限のことが書かれていました。NICUへの入院は長期にわたることが多く、面会に制限がかかることで沐浴や授乳などの育児手技を学ぶ機会も減り、離れている時間が長い事で親子の関係作りが難しくなると苦心されています。私たちのステーションでもNICU退院後の赤ちゃんをみさせてもらっています。あるお母さんは退院前、「自分が産んだという認識がない」と言ってみえました。病院からも「育児手技に問題はないが、それでも不安の訴えが多い」とも聞いていました。それでも自宅へ帰ってからは、赤ちゃんの身体のことで色々と心配事はあるものの、よくかわいがっています。私たちがその様子を見るのはたった1時間ですが、赤ちゃんの笑う様子や成長、お母さんの赤ちゃんへの視線をみると心配ないことがほとんどです。心配な時は受診先の病院や健診で関わる保健センターと情報交換をしながらその親子を見守る目を増やしていきます。NICU退院後も連携して親子を支えていける仕組みがしっかりあると、「孤独で不安な子育て」ではなく「誰かを頼ることができる、一人でない子育て」ができると思います。お母さんの心身の健康は子どものそれにつながります。NICU退院後、赤ちゃんの事はもちろんですがお母さんの言動や顔色にも気を配ります。昨日夕方、緊急用の携帯電話が鳴りました。赤ちゃんの訪問に行っているお母さんからでした。内容は赤ちゃんの事ではなく、その兄弟のことでした。「とりあえず何でも相談できる誰か」に私たちがなっているのかなと思い嬉しかったです。赤ちゃんの時期に関わらず、子育てって孤独だと大変つらいです。我が家の学童期の子ども達のことも、学校の先生やスクールカウンセラー、よつばのスタッフに私は助けられています。どの子ども達も大切にされて育っていける「地域」「社会」が当たり前になるといいいなと思っています。


寒い日もありますがもう春ですね。所々で桜が咲いているのをみかけます。上の写真は訪問先のご近所の桜です。訪問しながら季節を感じられて幸せです。訪問先のお部屋にも小さな桜の木があってそちらも満開でした。訪問中にほっこりします。日常の中には幸せなことがたくさんあります。いま、このブログを書きながら横目にドラマをみています。「オー!マイボス!恋は別冊で」という上白石萌音さんと奈々緒さん、イケメンの間宮祥太朗さんが出演しています。ドラマをみている時間も幸せです。タイトル通り恋の話。昔、うちの母親がこういうドラマを真剣に観ていましたが、「ドラマなのにそんなに真剣に観る?!」って不思議でした。今は自分も同じだなと思います。日常から離れた世界だから楽しめるんですが。そんな私の隣で子どもが「なんでニヤニヤしてるの?」と聞いてきます(笑)私の顔を嬉しそうにみる子ども達が可愛く思えてまたニヤニヤしてしまいます。
そんな子ども達。この一週間で次男、三男が誕生日を迎えます。3月生まれでちょっとちびっこい二人ですが春で6年生と3年生。私の取り扱いも上手になりました。私の機嫌が悪くても甘えてきて機嫌を取ろうとします。「可愛いね」「ママ大好き」「太っても大丈夫だよ、ママは可愛いから」「お料理上手だね」などなど。わざとらしくても嬉しくなります。よく子育てでいわれる「こどもの良いところを見つけて褒めよ」ですが、うちは子どもが母親を褒めて励ましてくれます。私も見習わないといけないです。でも、そんな風に言ってくれるのもあとどれだけでしょうか。中1の長男は間違ってもそんな事は言わないのでほんと今だけですね。子育てにおいても今が幸せな気がします。
明日は2月分のレセプト(診療報酬の請求業務)を行います。2月は28日しかなかったですが訪問件数は9月の開設以降最多になりました。スタッフは寒い中たくさん訪問にいってくれました。3月も元気に訪問にまわりたいと思います。