訪問看護ステーションよつば

お問い合わせ

Instagram

よつばブログ

4月になり所々で入社式が行なわれています。訪問看護ステーションよつばには新卒さんの入社はありませんが、今月中旬から1名一緒に働いてくれる仲間が増えます。これで看護師が5名となりました。うち1名は産休中です。5人で「生活の場でいききることを支援する」を理念に頑張っていきたいと思います。
最近ですが「清拭や食事介助は看護師の仕事ではない」と言われた方がみえました。「だってヘルパーさんができることでしょ」と。最近は人々の日常生活行動を支援することをその業とする職種としてヘルパーさんや介護福祉士も増えています。見た目は看護師と同じように「日常生活行動の支援」を行なっています。なぜ日常生活行動の支援が簡単な事と思われるのか。幼い頃から獲得してきた自分流のスタイルでもって自分の身の回りの事、例えば歯磨きや洗髪、入浴、トイレなど誰の助けがなくても簡単にできるからだと思います。ですが、病気になりそれにともなって生じる治療上の制約が加わったり身体の動きに制限が生じたりしまう。そしてそれまで普通に当たり前のようにできていた様々な日常生活行動が出来なくなり、他人の手を借りなければできない状況におかれてしまいます。全ての行動を他人の手に委ねざるを得ない状況におかれる場合もあります。このような状況に置かれた人の日常生活の支援となると、その人が長年にわたって確立してきた生活スタイルと抱えている病気や障害の状況や治療の状況を重ね合わせて、どのようにすればいいのかよく考えてから支援する事が求められます。何が必要な支援なのか「見極める」、どの方法で行なうのが最適なのか「判断する」、その援助を適切に行える「技術力」が看護師には求められています。ここが看護の専門性です。だから「清拭や食事介助は看護師の仕事」なのです。今でもよつばの利用者さんの中に食事介助が必要な方がみえます。ヘルパーさんが支援に入るときもあれば看護師が支援にはいることもあります。ヘルパーさんは窒息が起こらないように見守り、口元まで運ぶ介助もします。看護師は、窒息が起こらないように食べる姿勢を整え、食べ方や食べる順番の工夫、スプーンの種類の選択、栄養評価を行なっています。同じ「食事介助」でも内容や見ている視点が違います。見ていないようで実は色々とみているのです。
写真は私が見に行った夜桜の写真です。桜は散り始めていますが、明日は次男の中学校の入学式です。



今日は仕事お休みでした。春休みなので子ども達も家で自由にしています。三男が今日からサッカー合宿で不在。いつもお休みの時はたいてい一緒にいる次男と三男ですが、三男が不在となり「いないと寂しいなあ」と次男がぽつり。そして「大学行くと一人暮らしなの?」と聞いてくる。「なんで?」と聞くと、「一人なんて寂しくて無理。家で一人でしょ?俺無理だわ。」と。そっか、そんな心配してるんだと思いました。母の心配事とは全く違う世界です。大学行けるか、行くのか、その前に高校!そして4月からの中学校生活でしょ!と。「一人暮らしは楽しかったよ、門限ないし自由だった。でも、ゴキブリが出たときだけは恐怖だった。」と伝えておきました。母としては、高校出たら実家も離れて欲しいなあと思います。働くにしても大学などに行くにしても。お金かかりますが。いつまでも私に洗濯や食事の準備をしてもらうのでは無く自分で生活してみて欲しいです。親元にいるとみえないこと、経験できないことがたくさんあると思います。
お休みということで本屋さんにも行きました。最近気になっていた村上春樹の「女のいない男たち」という小説を読みたいなと思っていました。現在上映中の「ドライブ・マイ・カー」の原作です。3時間くらいの長い映画らしいですが、最近同じく3時間くらいの「ザ・バットマン」を観に行き、しばらく長い映画は観る気がしないので原作を読んでみようと思いました。村上春樹の「IQ84」や「ノルウェーの森」など長い小説を何年か前に読んでいましたが、この数年は小説を読む事なんて忘れていました。夜時間があれば、スマホで見逃し配信や動画をみている生活でした。なんとなくそんな時間の使い方にも飽きてきたので久しぶりの読書時間です。村上春樹の小説は、現実離れした世界が描かれるのでおもしろいです。理解に苦しむ描写や難しい表現もありすっ飛ばして読むことも多いですが。
写真の桜は昨日撮影したのも。利用者さん、ヘルパーさんと桜をみに外出しました。満開できれいでした。訪問での移動中もあちらこちらで桜をみることができます。「また春が来たんだな」と新たな気持ちにさせられます。


「食べられなくなったら終わりだ」
臨床の場でたびたび耳にする患者さんの言葉です。「食べる」ことは「生きること」とも言えます。なので、逆に食べられない状態は人を心細くさせ、時には希望までも失わせてしまいます。私たちにとって食べることは、栄養素の摂取だけでなく、味わうことの満足感や楽しみでもあります。なので、その人のQOL(生活の質)と深く結びついていることなのです。
現在の利用者さんの中でも「食べること」への支援を行なっている方が数名います。赤ちゃんから大人まで。機能的に食べられない要素があるけれど全く食べられないわけでは無い子どもや、食べられる機能を持っているけど食べない子、筋肉や神経の働きが障害されて食べられない方など様々です。様々な理由で食べられないので、目標も人それぞれ。私たち看護師は、利用者さんが多様な意味を持つ「食べること」ができるように、あの手この手で支援しています。そんな中でも問題が起こることは多々あります。今日は今まで何とか食べられていたパンを食べていてむせてしまった方がみえました。ではどうするのか。一番安全なのは「絶食」でしょうか。パンだけで無く、その他の食べ物でもむせてしまう可能性はあります。「パンはやめておく」なのか。むせにくいように「牛乳やスープにパンを浸して食べる」なのか。「パンを小さく切って食べる」なのか・・・。人それぞれ食習慣というものがあり、私はパンをスープなどに浸して食べることは好きではありません。だけど、むせないためにその方法をとりなさいと言われたら受け入れられるでしょうか。わかりません。食べ物そのものの工夫のみならず、スプーンの柄の長さやスプーンの大きさを変えることもむせない食べ方の工夫になります。食べるときの姿勢もそうです。色々な方法、選択肢があるので私たち看護師はそれらを多く知っておくことが必要です。すぐさま「こうすべき」と伝えるのではなく、その時のタイミング、利用者さんとの心理的な距離感を掴みながら助言を入れていきます。そこには信頼関係も必要。信頼のない看護師の言葉なんて耳に入りません。普段の関わりの中で信頼関係を培っていないと何の支援もできないのです。「支援」とは、決して看護師が前面に出てその人の手を引いていくのではなく、後ろに立って見守りながら、転びそうだったらそっと支えてあげるような感じです。抽象的ですが、そんなイメージをもって関わり、支援をしています。今日のパンでむせてしまった方、一日あれこれ考えていましたが、なんとなく「こんな感じで関わってみよう」みたいなイメージができてきました。その人が持っている力を使っていけるような支援、それを考えていくことは看護師の仕事の一つです。
うちのイグアナの「あわもり君」。体長1m30㎝。最近調子が悪くて全く食べません。夜のヒーターが数日切れていたようで、それに気がつかずにいました。イグアナは25度以上の環境でないと弱ってしまいます。しっかり暖めて動くようにはなり、排便もあるので経過観察中です。どうしたら食べるかな・・・。あまりストレスを与えないように距離をとって見守っています。とても男前な顔をしているですが、爬虫類が苦手な方もみえるので写真はやめておきました。


先日、名古屋ウイメンズマラソンが開催されました。何人かの方に走った?と聞かれました。走っていません。練習不足が理由です。なのでお仕事していました。マラソンコースの近くで訪問もあったので、マラソンの様子をみて頑張れなかった自分を後悔しました。訪問先の子どものお母さんがジョギングを継続しているので、来年一緒に走りましょうとお誘いしました。一人だとなかなか頑張れませんが、誰かを誘えば「やーめた」とは言えないので頑張れそうかなと。来年こそは!と思っています。
マラソンは走りませんでしたが、その分お仕事は頑張りました。週末は体調を崩された利用者さんがみえたので点滴をしました。すぐに回復出来なかったら週明け入院になってしまうかもと思っていましたが早期に回復され、今日は車椅子でスタッフと外出もされました。週末は医療依存や介護度の高い方の訪問が多いので、そんな中イレギュラーな事があると私の気持ちもそわそわします。なんとか週末を乗り切って元気になってもらえたのでほっとしています。
そんな週末のご褒美に、今日は事務所でプラレールで遊びました。昨晩、我が家の子ども達に線路を繋げておいてもらい、それをまたアレンジしながら3歳の男の子と何時間も遊びました。そんな中、面白いことがありました。その子が私とスタッフの橋本を「男の人」だと思っていたのです。「違うよ~、女の人だよ」と言うと目を丸くして驚いていました。きっと、彼なりの男女の識別観念があるのでしょう。良かった、私だけ男の人だと思われてなくて。
写真のケーキは三男の誕生日のケーキです。9年前の三男の誕生の時は長男、次男も一緒でした。産むまで性別は聞いていなくて、産まれた時にお兄ちゃん達が真っ先に「男の子だ!」と言ったのを覚えています。お産の後でぐったりしながら、「あ~やっぱりね・・・、女の子は出てこなかったか。」と思ったのを覚えています。


先日、訪問看護の利用を考えてみえるご家族から色々と質問がありました。介護保険と医療保険があるけど、どっちをつかって訪問看護を受けるのか自分達で決められるのか、介護保険の場合、一割負担だけどどれくらいの負担額になるのかなどなど。
介護保険を使うか医療保健を使うか、基本は介護優先です。ただ、厚生労働省の定めた疾患や状態(癌末期、留置カテーテルがある、気管切開しているなど)の場合は医療保険の適応となります。どれくらいの時間訪問してもらえるのかという質問もありました。介護保険の場合は20分、30分、1時間、1.5時間という区切りで所要時間に応じた利用料を算定をします。医療保険の場合は1.5時間を超える分は加算がつきますが1.5時間以内であれば30分でも1.5時間でも同じ金額です。しかも、1.5時間を超える訪問を行なっても長時間加算をつけられる回数に制限があるので、毎日1.5時間を超える訪問をしても毎回加算をつけることはできません。現在、よつばでも週4回1.5時間を超える訪問を行なっているお宅がありますが、長時間の加算をつけられるのは4回のうち一回のみです。もう少し柔軟な制度にして欲しいなと思いますが現状はこうなのです。それでも週に4回、1.5時間の訪問させてもらうのは、様々なケアを行い、家族の心配毎などを聞いている時間も含めると1時間では終われないからです。また家族が利用者さんから離れて買い物に行く時間を確保しているのですが、買い物に行って帰ってきて1時間ではかなり厳しいのです。家族一人でその利用者さんのケアを行なっており、一人にはできない利用者さんなので限られた曜日しか外出できず、そうすると買い物も多いですし役所や銀行にも行きたいので1.5時間でなんとかいけるといった感じです。経営者目線で考えると、医療保険の場合は一時間程度で終われる訪問を何件か入れた方が割が良いと思います。でもそんな思いが頭をよぎるとき、私が訪問看護ステーションを立ち上げる前にお話しを伺った管理者さんの言葉が浮かびます。「お金に目がくらんではだめ。そうなると仕事の質が落ちる。」と言われたことがありました。なんでもかんでも長ければ良いわけではありませんが、先ほど紹介した利用者さんは1.5時間必要だなと思えるのです。なのでスタッフにも「早く切り上げて帰ってきて」とか「1時間で終われるように内容を替えよう」とかは言いません。私がそのお宅を訪問すると「先日長くなっちゃってすみません。でも助かりました。」と家族に言われることもあります。しっかり仕事をしてきてくれているんだなと感じます。
人を雇用するからにはちゃんと収益をあげないといけないけれど、仕事も中途半端にしたくない、自分達の仕事が価値あるものでありたいと思うのです。若いころは給料明細をみてもっと働きたーい(もっとお金が欲しい)って思っていましたが、今は、目に見えないものの方が大事になってきました。
写真は次男の誕生日ケーキです。来週は三男の誕生日ケーキが載ると思います。3月は二人の誕生日が続くのでケーキがたくさん食べられます。