訪問看護ステーションよつば

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9月に訪問看護ステーションよつばを開設して6ヶ月が過ぎようとしています。楽しいことも大変なことも、悩めることも色々とありました。出会いもたくさんありましたが、お別れもありました。利用者さんも少しずつ増えてきました。しかし、営業すると依頼がきますが営業しないと静かな毎日・・・。名前を知ってもらって地域に根付いていくにはまだまだ努力が必要です。
何日か前の中日新聞の生活面に、窪塚洋介さんが家族について書いている記事がありました。窪塚さんの長男が学校に行かないとか、学校で問題を起こすなどの悩みがあったようですが、「スイッチは自分(親)にある」と自覚してからは良い方向にいったそうです。子どもの行動を変えようとか、子どもにこうして欲しいとか思っているうちは何も変わらなかったけど、窪塚さんが色々言うのをやめて本人に任せるようにしたところ、長男との距離も近くなり、長男自らが行動するようになったと。
「スイッチは自分にある」という言葉は私にはしっくりきて、自分のことにあてはめて考えてみました。子どもに任せてみるとか、ガミガミ言わないとか、信じるとか色々言いますが、言葉で言うほど簡単ではありません。学校に行こうとしない子どもを前にして、「学校に行くと信じる」「どうするか任せる」とは思えないのです。実は今朝の我が家の光景です。
でも、昨日の夜の会話で「3時間目までには行くよ。お弁当いるよ。」って言われたので「3時間目までには行けるよね~」と声をかけて仕事に出ました。午前中は学校からの連絡がなかったので学校に行ったなと思っていたら、お昼ご飯中に連絡がきて「まだ学校に来ていません。」と。3時間目までに行くって言っていたのに登校していなかった・・・。家に帰ったら何て声を掛けようか、って今思っています。学校に行くと信じたら行くわけでもなく、学校に行けと言えば行くわけでもない。結局行動するのは長男自身。それを見守り、気に掛けて声をかける。何らかの行動をとった長男を認める。長男は長男。私は私。そうやって考えて私自身が長男に接していくことが「スイッチは自分にある」ってことかなと思っています。
最近、利用者さんへの導尿で失敗する事が増えました。失敗しそうな時、感覚で自分でも失敗するって分かります。なんで失敗するのかは分かりません。でも、長男が朝から学校へ行った日は成功して、行かなかった日は失敗しました。まだまだだなあ、自分もって思います。プロなら長男の動向に仕事が左右されてはいけません!でも、まだまだってことは成長の幅が大きいステーションですので今後ともよろしくお願い致します!利用者さんの増加に伴い一緒に働いてくださる看護師さんも募集しています!


看護学校でも大学の看護学科でも、必ずフローレンスナイチンゲールのことが授業にでてきます。ナイチンゲールは、クリミア戦争において敵・味方の分け隔てない負傷者たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革を行ったことで著名な方です。
私が学んだのはナイチンゲールの著書『看護覚え書き』を読んでレポートを書くというレベルでした。当時の私は、昔と今では衛生面、看護師の質、環境が全く違うのに昔の事から何が学べるのか分からないという思いでした。レポートのために読みましたが、とてもつまらなかったです。そして特につまらないと思った内容は、換気について書かれていた部分です。病室の窓を開けましょうとか、一日に何回か風を取り入れましょうとか書いてありました。なぜそれが看護?と思いました。
病院勤務を始めて何年か経ったときに、窓を開けるのが好きな上司がいました。仕事中に風を感じるととても気持ちよかったので、私も窓を開けるのが好きになりました。なので患者さんをベッドから車椅子にのせた時など窓際につれて行って窓を開けて過ごしてもらったりしました。寒さで長く窓を開けられなくても、窓際で日の暖かさを感じてもらうことも。高齢者は入院によって時間感覚が鈍くなりますが、風を感じたり日の暖かさを感じたりすると「昼間」を感じられるかなと思ってやっていました。病院の閉塞的な空気感や機械音、夜でも電気の光を感じる環境は、昼夜逆転を招きやすくせん妄の原因になります。初めは、気持ちいいからと思ってやっていたことも、看護として考えて行動するようになっていました。そんなころに、あのつまらなかった『看護覚え書き』の「換気」を思い出して、ナイチンゲールってすごいんだ!と感動しました。今でも、訪問中に看護師とヘルパーさんで車椅子移乗される方がみえます。その時も5分くらいは窓を開けます(利用者さんに了解を得てからです)。外を見るだけでなく、風を感じると季節を感じるし新しい空気を身体に取り込めるし気持ちいいし。ほんの少しの時間ですが。そして、今読んでいるのが上の写真の本です。ナイチンゲールが書いたわけではないですが、ナイチンゲールの精神から経営を考えています。最初の一文を紹介します。「これからの経営は、顧客を元気にすることです。また患者の回復過程を支援して元気にすることです。そのためには顧客・患者と接する第一線の現場スタッフが、いつも瞳を輝かせて「さわやか」に「はつらつ」として元気でいることが必須です。」と書かれています。スタッフが元気に働けるためにって言うと、十分なお休み!ってなります。お休みも絶対大事。でも、お休みだけではないと思います。スタッフが意思決定できスタッフ自身が意欲的に働けるかどうかが大切だと思います。利用者さんと接点を持つことが多いスタッフに権限と責任を与えて秘めている能力を発揮できるようにしていくことが、私の仕事の一つだと思っています。先日、スタッフ(とその娘さん)が手作りノートを作ってくれました。内服や浣腸など自己管理ができるように支援している若い利用者さんに対して、彼女が大好きな韓国のアイドルグループの写真を使って素敵なノートができました。モチベーションアップです。彼女が頑張っていることが見える化されています。別の方で、嚥下障害が進んでいる方がみえます。その問題にも反応して、私にも問題を持ちかけ支援の過程を展開していこうとしている真っ最中です。スタッフが元気に働けることが「サービスの質の向上」につながると思っています。まだ途中読みですが、結局、経営は人づくりが鍵になる。スタッフの質の向上が組織の成長の鍵であると。それができるかどうかは責任者(私)がスタッフの仕事に責任と信頼をもつことが必要だ、と書かれています。
「よつば」の四つの葉は、「地域」「利用者」「スタッフ」「幸せ」を表現しています。この四つの葉を結べるよう、日々勉強と努力と実践!です。
 


先日、1週間ほど母親業をやめました。学校に中々行かない長男とのやりとりに疲れてしまい、次男・三男にも優しくできなくなり、なんだか常に眠くてだるい。そんな日々が続き、これ以上頑張れないなと悟り、スーパーで晩ご飯のお総菜を買って「今日から一週間、母親業をお休みさせて頂きます」と子ども達に宣言しました。ご飯だけは炊いておかずは全てスーパーのお総菜。三男は「スーパーのおかずおいしいから大好き!」と大喜び。次男は「ママのおかずだっておいしいよ!」「母親業はお休みするけど母親はやめない?」と心配そうな表情。長男は私と険悪になっていたので無言。その晩から、ごはん作りをやめました。長男のお弁当も作りませんでした。夜、長男にコンビニに行かせてお弁当を買わせ、それを翌日のお弁当に持たせました。朝ご飯も自分たちで食パンを焼いて食べてもらいました。お総菜の他には、スシローのお持ち帰りで注文して家で食べました。食費はかさみましたが、随分楽でした。仕事中も、帰ってから食事の準備をしなくていいと思うと家に帰るのがおっくうではなくなりました。気持ちが楽になり、長男とも少しずつ言葉を交わすようになりました。日曜日まで母親業をお休みさせてもらい、月曜日からはまた頑張っています。長男とは、少し話をしただけですが「自分で朝起きる」「学校は行くようにする」と言っているので、朝からガミガミ言わずに見守るつもりです。しかし、月曜日は自分で起きて学校に行ったものの、火曜日は遅刻、本日水曜日は学校へ行かず。私の出勤時間の方が長男の登校時間よりも早いため、学校に行ったことを確認することができません。登校しないと学校から私に電話がかかってきて、私がまた家まで戻って怒鳴り散らして学校へ行かせていましたが、今週はそれはやめて、学校からの電話を受けておしまいです。学校の先生が本人にも電話をしてくれます。先生方も忙しい時間帯に申し訳ないです。母親業をお休みしたところで状況は変わっていないので、また私がイライラし始めたり疲れ果てたりするかもしれません。そしたらまた母親業のお休みで乗り切ります。
今日、事務所にスタッフの娘さんが来ていて、そのスタッフが訪問で出ている間にお父さんとお母さん(スタッフ)の話をしてくれました。お母さんがおいしいリンゴを入れて作ったサラダを知らないうちにお父さんが全部一人で食べてしまったそうです。「お母さんめっちゃ怒ってた!『どうして一人で全部食べる!!』って何度も言ってた」と。よその喧嘩ってほんと笑えます。きっとそのスタッフの怒りは本気だったと思いますが、私たちには笑い話です。
事務所に来てくれるスタッフの娘さんたちが色々とお話してくれる内容は大抵笑えます。話も面白いですが、手先も器用です。折り紙でひな人形を作ってくれて外から見える出窓に飾ってもらいました。母親業の休業もリフレッシュになりますが、事務所での時間もまた頑張ろうという気持ちにさせてくれます。今週はまだレセプトが残っているので事務所滞在が長いですが、まだまだ頑張れる余力がありそうです。


本日の中日新聞朝刊「親亡き後障害ある子支える場に」から。
障害のある子が大人になり、その親が高齢になりまた亡くなった場合のことが書かれています。つい最近、実際にそのような親御さんから将来の不安を吐露されたこともあり、興味深く読みました。記事では、そのような方を受け入れるグループホームが紹介されていました。毎月の利用料は食費や光熱費などを含めて5万円程度。利用者自身の障害年金や作業所での仕事で得た報酬で充分まかなうことができる利用料です。施設によっては、別途入居時に一時金が必要なところもあるようです。「親に金銭的な余裕があるかどうかで、子どもの行く末は変わる」と障害を持つ子の親は話されています。障害をもつ子どもが親の死後も生活していくことを考えていかなければならず、親御さんの不安と心配は相当大きいと思います。そのような中、このようなグループホームのニーズは高いと思いますが、設立にかかる費用や人件費などを考えると多額な費用が必要になります。行政からの補助もあるようですが、地元住民から寄せられたバザー品やチャリティーコンサートの売り上げで賄っているそうです。「地元の人達の支え」があるからこそ、障害を持つ方々の居場所が確保されている。以前訪問看護ステーションよつばのインスタグラムで、うちのスタッフがALSの方のチャリティー福袋を買って写真で紹介していました。それもやはり支援なんですね。訪問看護で「支援」というと直接的な支援になりますが、こういったチャリティーに参加することも充分支援になるんですね。今関わっている障害のある子ども達に、私たち訪問看護がずっと支援していけるわけではありません。しかし、チャリティーなどの支援なら可能な範囲で継続的に続けることができます。個人としても会社としても、できることがたくさんあると思うので、間接的な支援にも関わっていきたいなと思いました。
あと、同じ紙面に認知症の方に安心感をもたらす「日課」について書かれていました。認知症の方が混乱しても、長い年月身体に染みついた日課を続ける事で、その「日課」が混乱から落ち着く事に役立つそうです。とても納得しました。実際、私の場合まだ認知症はないと思いますが、最近心穏やかに過ごせない事が多いです。子ども達に心乱されるんです。イライラ、もやもや、母親としての理想と現実の葛藤・・・。毎日新聞を読みますが、活字を追っていると気持ちが落ち着きます。内容が頭に入ってこないことも多いですが、気持ちが落ち着いていくのがわかります。だから、私が新聞をしっかり読むのは一日の最後です。仕事して、家に帰って、子ども達に心乱されて、新聞を読んで落ち着いてから寝る。そんな「日課」に助けられているんですね。本当は子ども達が私の心を乱さないことが一番の助けになるのですが。
今日は新しい先生との関わりや、新しい利用者さんとのご挨拶がありました。「訪問看護ステーションよつば」に2月からまた新しい風が吹きます。楽しみです。仕事への意欲も湧きます。少し暖かくなったり寒くなったりと気温の変化がありますが、私の身体もスタッフの身体も大切にして元気にお仕事させてもらいます!



週末、自宅からひたすら南に向かって走りました。3月のなごやウイメンズマラソンの練習です。名古屋を抜けて東海市まで行きました。途中、鉄橋を渡る名鉄電車をみかけて写真を撮りました。もともと電車に興味なんてありませんでしたが、長男が小さなときから電車が大好きで何度も一緒に電車の本をみたり、電車に乗ったりして自分も電車の種類や名前を覚えていくようになりました。次男は電車にはそれほど興味は無く、三男がまた電車好き。三男はもう小学2年生ですが今でも電車の図鑑をよく見ています。最近は大人向けの電車の雑誌を読んだりして、難しい言葉も覚えるようになりました。本を読んで学んだ事を色々と説明してくれます。私にはさっぱり分かりません。数ヶ月前ですが「ダイヤモンドクロッシングがみたい!」と懇願され港区まで見に行きました。大江の方に築港線という数駅程度、トータル1キロちょっとの電車が走っていて、その一部で線路が直角に交差している場所を通るのです。上の写真1枚目です。この交わりをダイヤモンドクロッシングというらしいです。確かに線路が十字に交差するなんて珍しいなあと思いました。おかげで私もまあまあ電車や新幹線に詳しくなりました。訪問先で電車好きの二歳のお兄ちゃんがいますが、その子とよくプラレールで遊んだり電車の本を見たりします。結構詳しい私の電車知識を披露する場所になってます。あんまり披露するとお兄ちゃんはまだわからなくて、つまらなさそうにするので言いたいけど我慢もしています。週末撮った鉄橋を渡る電車の写真はそのお兄ちゃんにみせてあげたいなと思って撮りました。今度いつ会えるかなあ~。楽しみです。そのお兄ちゃんと遊んでいると、自分の子育てのやり直しをしているような気分になります。家で子どもに電車で遊ぼうと言われても、なかなか向き合えないことも多かったです。家にいると家事やご飯の準備をさっさと終わらせたくて、こどもとゆっくり遊んであげる余裕がなかったと思います。だから、その2歳のお兄ちゃんが「看護師さん遊ぼう!」と電車を持って誘ってくれると、さあ遊ぶぞ!と私も気合いが入ります。でも、訪問看護の対象は下の子なので、その子のことも見ながら、お母さんとお話をしながら、対象の下の子をとりまく環境そのものを包括的にみていきます。そうやって、もう何ヶ月もみてきました。下の子も成長したし、お兄ちゃんもいろいろな思いを抱きながら毎日を懸命に生きている子です。お母さんも段々強くたくましくなりました。そうやって継続的に関わることができ成長をみていくことができるので、私はこの仕事がとっても好きです。時々、私はなんで看護師になろうと思ったか?と思い返しますが、いつどこで自分がこの道を選んだのかよくわかりません。看護の仕事についてから、この仕事に一生懸命取り組むようになり、看護師として自分はどう生きていくのか、どうやったら人の役に立てるのかなど考えてきました。
今もまだ道半ばで、これからも頑張り続けないといけないと思っています。地域で療養する方々が安心して生活できるように、訪問看護ももっともっと増えて欲しいと思います。
久しぶりに長距離を走ったので筋肉痛ですが、今週はもう少し距離を伸ばして走ろうと思います。またどこかで素敵な写真が撮れたらここにアップします!